愛花風

思考の先に本質を見る

何故安倍政権は続くのか

第二次以降の安倍政権は発足から七年以上の年月が経った。国政選挙では負け知らずだ。では安倍政権の政策は国民にとって素晴らしいものなのだろうか。

 

日本経済は未だにデフレから脱することはできず、産業の疲弊も治っていない。外交ではどこの国からもまともに相手にされておらず中国や北朝鮮による軍事的脅威は解決していない。年金や社会保障も不安定なままで、何よりも忖度よる政治の腐敗は隠しきれない。

 

これが民主党政権ならば、国民の大非難が起こっている筈だ。しかし、未だに内閣支持率は約4割と安定的な水準を保っている。

 

安倍政権が辞めない理由としては野党の実力不足が挙げられる。では、野党の問題点とは何なのだろうか。今回は与党への追及や経済分野、外交・安全保障分野において、野党に何が必要なのかを検証する。

 

小物な野党と大きな官僚問題

野党は安倍晋三が嘘やごまかしを続けていると言って誠実さを求めている。確かに、安倍晋三がすぐにバレるような嘘を何度もついている。だが、桜を見る会などは小悪に過ぎず、加計については本質的な部分が論議されていない。

 

官僚が一人自殺した加計の問題への追及は、「お友達に利益を誘導するために、強引に学校を新設させた」という話への延々とした追及に留まっているのだ。これでは話が単純ゆえに表面的だ。

 

桜を見る会など本来は検察庁に委ねるべき話だ。EU諸国ではこの類いの追及などあり得ない。野党が国民生活などの重要な話をすっ飛ばしてまで出す案件ではないのだ。野党が本当に批判するならば、その矛先は検察に向けるべきなのである。桜を見る会公職選挙法に違反する可能性はあるが、それで内閣が退陣するならば安倍政権はここまで長く続かない。

 

追及に明け暮れる野党など所詮は糞にたかる銀蝿と同類だ。本来ならばもっと大きなスケールの話で議論を主導する意気を見せねばならない。ちっぽけなスケールの野党では誰が安倍の次なのかが見えてこない。これでは国民の支持など得られないのは当然だ。

 

さて、加計学園の問題の本質的な問題点とは何か。それは教育分野の官僚による規制なのである。

 

加計学園問題は、獣医学部の新設を巡って国家戦略特区が始まる経緯で発生したものだ。ここでは、政治家の口利きが発生する理由を解説する。

 

それは、官僚支配である。規制やルールに基づく官僚の統治は実は不公平なもので腐敗の温床なのだ。何故ならば、規制の解釈の幅を決める権利を持つのは官僚だからだ。

 

民間の個人や企業が新規事業を行うにあたって、当該分野の規制に適合させようとした時に役所側は様々な理屈で自らの意思を通そうとする。その判断が、旧弊的な既存事業者等の既得権益に配慮して参入ハードルを高くする場合や、役所の事なかれ、あるいは単なる前例踏襲主義の場合もある。そこでものを言うのが、政治家の口利きなのだ。

 

今回の加計学園の場合、安倍がお仲間に利益を誘導した問題のように言われて官僚が自殺したが、その背景には文科省厚労省の腐敗体質が存在している。国が医療や教育に責任を持つことは勿論重要だ。だが、官僚による非効率的で不公平な統治、無用の規制を無視しては、仮に野党が政権を取っても加計のような問題がまた起きる危険がある。

 

官僚についてもう一つ取り上げたいことがある。それは少子化問題だ。少子化対策が功を上げなかった理由としては政治における女性の地位の低さなどがある。だが、本質的な問題が二つある。

 

一つは偏見だ。それは「女性は家庭を守る」といった内容のものだ。国家が一定の価値観を元に特定の集団を優遇することがあってはならない。偏見を無くすには、偏見を体現する政策を乗り越え、根本的な意識刷新のための教育が必要だ。

 

だが、最も重要なものはもう一つの原因である、利権、特に文科省厚労省の省益である。その一例として、公的な幼児教育関係者の既得権益だ。我が国の幼児教育の問題点は、文科省厚労省によって教育とケア双方の要素が分断されていることである。これが都市部における待機児童の原因だ。

 

過少供給の保育市場における認可保育園は、競争にも消費者の評価も起きない。そのため関係者は色々な理由で供給を遅らせて、新規参入も阻む。そうなると高コスト体質もサービス水準も上がらない。既得権益の存在によって、同じ保育所職員でも公的な立場と民間の立場に大きな格差が生まれるのだ。

 

自治体側にも、供給の増加が負担の拡大をもたらす構造がある。待機児童がいても、彼是言い訳すればよい。しかも保育園への入所の是非は役人の匙加減で、意思決定の透明性が低い。

 

今の野党に本気で既得権益清算を遂行する意志があるのかは怪しい。新規参入を増やしてイノベーションを促すために規制改革が必要なのだ。野党は、安倍政権が民主党時代に提案された案の大半を棚上げにしていることを衝くべきだ。規制改革案の立案は難しくない。そこそこのコンサルタントを呼んだり元官僚のチームを組成したりすればできる話だ。それすらしないのは只の怠慢だ。それで与党の追及をやられた処で説得力などない。

 

不明確なままの経済運営姿勢

野党は消費税廃止とやら無駄な支出云々と注目を集めやすい政策分野を特にアピールしている。だが、有権者は一つ一つの政策ではなく、あくまで経済運営の全体像を評価していると考えられる。政策の拠って立つ思想や前提が評価される訳だ。骨太の議論や政策が成っていないことが野党の問題ではないか。

 

残念ながら我が国の経済リテラシーは未熟だと言わざるを得ない。具体的には経済政策における最低限の共通言語と基本認識がない状態のことを指す。

 

リテラシーが成らない原因は歴史にある。冷戦初期における日本等の西側諸国の保守政権が赤化防止のために社会主義的要素を取り入れたことが大きい。日本が「成功した社会主義国」と言われた理由もそれだ。だが一方で、知的停滞が起きたことは否定できない。マスメディアが政権の論理構成や事実認識に挑戦しない点が大きい。

 

まず、アベノミクスを構成するそれぞれの政策の本来の意味を書こう。

 

まずは金融政策。これは金融的な環境を整えることが目的だ。金利、為替の過度な乱高下を避ける。同政策は短期間で効果が確認できて政治の監視も緩い。だが民間主体の経済成長や競争力を根本的に変化させる訳ではないため、金融政策は脇役的な立場だと言える。

 

次に財政政策。これは自らも経済主体であるところの国の財政的な行動を通じて経済に働きかける政策だ。歳出入について議論が交わされる故に同政策には民主的な監視が厳しくなる。消費税の議論もそれに含まれる。財政政策は短期的に効果が出せる一方で、全体への効果が長続きしない。しかも政府とのつながりの強い業界、企業を利する面も否定できない。財政政策には公平性が求められるのである。

 

最後に構造改革。これは経済主体間の構造に働きかける政策だ。ここでは、政府による規制の見直しが主である。重要なことは、民間の経済主体間における競争の強化だ。既得権益層との葛藤は避けられない。

 

ついでに産業政策についても説明する。これは特定分野における投融資を促す政策だ。(厳密な定義はないが)国が直接的に投融資する場合や民間の投融資を促す場合がある。だが、政府の競争への参加が経済成長やその効率性を阻む危険もある。

 

現在の安倍政権はどうか。実は緊縮財政である。政府の総支出の伸び率はOECD加盟国においては36ヵ国中30ヵ国であり緊縮財政の類いに入る。また、過去20年の政府支出伸び率は世界最下位だ。

アベノミクス第二の矢である財政出動はされていないのが現状なのである。

 

第一の矢である金融緩和は中途半端なものだ。インフレ率は未だに0.1%の状態であり、物価上昇率も目標の2%に達していない。

 

第三の矢である成長戦略(構造改革)に至ってはもはや犯罪レベルである。その内容は、米国優位が前提であるTPP推進、水道民営化、派遣労働や非正規雇用の拡大、種子法廃止、移民政策(問題視されている技能実習生制度の改正もなし)等、国民の生活を脅かしかねないものばかりだ。水道民営化や移民は既に欧州各国で問題視されているにも関わらずだ。改革という言葉を弄んだ安倍政権の罪は重大である。

 

それでいて、本当に必要な改革を安倍政権はやっていない。安倍は上記に挙げた官僚絡みの利権の清算は勿論、第一次産業の改革 、少子高齢化の中における社会保障の維持低迷する労働の生産性の改善といった本質的な問題に手をつけていない。ただそれが安倍政権が長期安定政権となった原因でもある。与党の支持層が割れるリスクを犯さなかったのだから。

 

野党は経済運営における骨子を示す必要がある。自民党は官僚や特定の団体や企業による利権に浸ってきた故に現状維持の政策しか打つことができない。難しいことは分かるまいと国民を舐めた態度を取る限り、野党が自民党に勝つことはない。

 

安全保障と九条の錯誤

その次に外交・安全保障について書こう。野党は改憲阻止を共闘の名目としているが、本当にそれは正しい戦略だろうか?

 

2015年に安全保障関連法案に関する議論が行われた。ここでは、歴史的に形成されてきた日本独自の論点である、各種の関係性や政策文化について解説する。

(制服組=軍人   背広組=内局官僚)

 

まず、政軍関係について。これは、安全保障と民主主義という本来相反する概念の両立を目的とした関係性である。19世紀以降に軍がプロの存在になったことで、政治が如何に軍を民主的に統制するかが重要となる。それがシビリアン・コントロール(文民統制)の原則なのである。

 

冷戦においては核戦争のリスク故に文民統制の強化が進められたが、冷戦後は文民の暴走を防ぐ役割も求められるようになった。何故ならば文民(政治家や国民)が好戦的であったことがあったからだ。事実、米軍はイラク戦争に反対していた。

 

文民統制には主に3種類に分けられる。制服組を背広組の文官(官僚)が管理して、その上に防衛大臣が管理する形を「垂直統合」という。軍事政権や革命政権、そして戦後の我が国が該当する。次に、防衛大臣が制服組と背広組それぞれの案を比較できる形を「均衡型」という。また、大統領が直接軍に関与して、軍の首脳陣も政治に巻き込まれる形を「同格型」という。米国がまさにそれだ。その内、理想的な形は均衡型だ。

 

この点は、政官関係に繋がっている。我が国では90年代以降に政治家や総理大臣の主導権の強化を図った改革が行われた。実際に安倍政権は2015年6月に文官統制の廃止を決定した。勿論、権限が強化された分、政治家の責任は大きくなる。実際の政治家たちに軍事政策を判断できるかといった不安はご尤もだ。ましてやスキャンダル追及で本質的な問題から逃げる野党の実力など察して知るべし。

 

そして、制服組と背広組との関係については戦後の日本独自の論点だ。自衛隊は戦前の反省故に旧軍の関係者を可能な限り省くといった目的と旧軍による知見の必要性とのバランスを取って成り立つ。武器や部隊の運用制限等がそのための「歯止め」である。これは日本が実質的に米軍の保護下にあった故に成立できた。

 

歯止めに関わったのは背広組の官僚たちだ。つまり、彼らが制服組を支配していた訳だ。まさに垂直統合型の統制だ。安倍政権下において文官統制の廃止を始めとした安保関連法案の成立の背景には、制服組に蓄えられた背広組に対する怨恨が自民党に受け入れられたことが大きいのだ。

 

次に、我が国の3つの政策文化について解説する。1つ目は平和主義だ。これの最大の特徴は、安全保障の世界を憲法解釈という法律論で理解しようとする姿勢である。九条の関係で、軍が存在しないことにされていた故だ。

 

戦後、三木内閣頃までは各種の原則が立ち上げられた。当時の反軍世論もあって、様々な歯止めが作られた。日陰者扱いであった自衛隊は、文官(旧防衛庁内局)や大蔵省による予算管理、民主主義による管理(内閣と国会)を受けた。本来は冷戦後に安全保障環境の変化を根拠として文官らによる歯止めを止めるべきだったが、当時の政府は字句解釈を続けた。

 

2つ目はチェックアンドバランスへの不得意だ。我が国では抑制と均衡の前提となる意見対立が忌避される傾向がある。外交・安全保障における二元外交への回避姿勢が分かりやすい。

 

終戦直後の外交官出身のリーダー達は、戦前の軍による既成事実の確立を外交の幅が狭まった理由と認識していた故に外交の一元化を目指した。複数の情報源の存在が情報を立体的に理解することを助けるのだが。今でも各国の大使館の官僚や武官らは一元的外交のために細かいルールに従って動いている。

 

3つ目は自衛隊の反エリート主義だ。戦前のエリート参謀への反感が大きな原因である。現代において、専門知識のある国際的な軍人の存在は必要である。海外文化への造詣を持った大国間の軍人ネットワークが国際社会の安全弁になる。我が国でいうならば、ロシア語や中国語等への理解がある軍人が必要だ。世界の「難しいこと」には無知でいいといった考えは通じない。

 

冷戦後の約4半世紀において安全保障の世界には2つの大きな変化がある。1つ目は精密誘導兵器の導入を始めとした軍の情報化である。現代戦の優劣は指揮・情報系統の能力で決まる。これは集団的自衛権が可決された原因の1つでもある。2つ目は戦場が曖昧になったことだ。冷戦後に地域紛争が起こったりしたことで世界規模でテロリズムが拡散した。イスラム国がいい例だ。また、サイバー空間や宇宙の戦場化も進んでいる。

 

残念ながら我が国の安全保障論議は世界的に大きな遅れを取ってしまっている。九条を理由に、軍を持っていないことを建前として自衛隊の存在から目を背けたツケが回っているのだ。憲法解釈の1つや2つで右往左往している暇などない。

 

従来の憲法解釈では日進月歩の安全保障環境に適応することは不可能だ。現状では法的な要件を1つ1つ定めていくことになる。これでは却って現場に超法規的な措置を取らせてしまう危険がある。安全保障の本質は万が一の事態に備えることであるからだ。これでは法治国家として失格である。

 

また、日米合同委員会の存在も無視できない。いざという時に自衛隊は米軍の傘下に下ることになる。そうなれば我が国の法体系などひとたまりもない。自衛隊に統制規範や軍刑法がない以上、自衛隊の統率が取れなくなる恐れがある。(※)

 

安全保障の議論に必要なものは、正確な情報と健全な市民精神だ。政策決定の根拠はリアルな現実に基づいて行われるべきである。戦後の垂直統合型の文民統制では伝言ゲームの形で情報が伝わる故に、国会の得られる情報が制限されて、的確さも危うくなる。歯止めの考え方が判断を誤らせるのだ。

 

政策文化のアップデートも欠かせない。平和主義の現実路線化は勿論、政策決定は複数の情報源を根拠に行われるべきだ。リーダーには抑制と均衡を管理する能力が必要だ。軍人は豊かな人間性と国際性を持って、国際社会における平和の要となるべきだ。

 

安全保障論議では、憲法事項、法律事項、慣習の峻別が必要になる。まず、憲法事項と見るべきものは内閣総理大臣の最高指揮権、自衛隊の軍事組織への固定化、国家の開戦権である。開戦権については、承認権限を国会に付与することが望ましいだろう。また、米国等に設置されている調査委員会を作る権限も必要だ。

 

法律事項は、予算に関する国会の権限や自衛隊の権能範囲、軍事法廷・軍規、交戦規定の事項がある。慣習としては、制服組の国会答弁や軍人への慰霊の制度化などがある。特に制服組の答弁は、我が国が均衡型の文民統制を確立するのに望ましい慣習だ。

 

我が国の対米自立は勿論、文民統制を完璧なものにするためにも、九条改正は避けて通ることはできない。軍を持っているということに真正面から向き合うことで、我が国の安全保障の停滞を糺すことができる。特に世界の多極化が進んで米国への依存ができなくなっている今、九条改正による自主防衛の確立は急務である。

 

今の野党の主張していることは憲法解釈を理由とした安保関連法案廃止、改憲阻止ばかりだ。戦後の体制を維持しようとするようでは今後の世界の動向に対応できない。本当は安全保障論議自民党以上に進展させる覚悟が必要だ。何の熟慮もなく護憲だ護憲だと叫ぶようでは話にならない。

 

改革志向の無党派保守層という希望

我が国の有権者に関して2つの事実が明らかになっている。1つ目は、民主党を政権の座に着かせたのは小泉政権を支持していた構造改革派であることだ。2つ目は有権者の約七割が保守的な志向を持っていることである。

 

改革無党派の勢いは、特に小池都知事や維新の時に明らかになった。最後に、改革保守派の動きを総括する。

 

まず、小池百合子から。小池の強味の本質は自己目的化である。自身の成功を日本にとっての朗報と考えて動く故に大衆の熱狂を喚起しやすい。小池の希望の党は、自民党のような利権によるしがらみ政治とは一線を画すイメージを打ち出したことで人気となった。これは2017年の都知事選で自民党が大敗した大きな原因でもある。

 

小池の言動は、民主党を母体とした民進党の解体を進めた。(主に2016年の秋から)民進党政権交代に失敗した理由としては、体系的な経済政策を語れなかったことと、蓮舫自身の問題がある。

 

民進党の掲げていた経済政策は、財政政策の一部である分配政策だけだった。それでいて、上記した幼児教育における官民格差等の本質的な問題を解決するための構造改革には触れなかった。党内でも、経済成長への認識が纏まっていなかった。経済運営の議論に真面目に向き合わないようでは国民に能力を疑われても仕方がない。

 

蓮舫自身の問題点、それは統治者としての自覚がなかったことである。本来は政治的な動機がより普遍的に国民のため、社会のためのものに昇華させる過程において、その人の自覚は養われる。

 

蓮舫はハーフということで明け透けと物を言う異端さで人気を集めたが、そのままでは日本の主流派の支持を得られない。我が国の主流は独自の倫理や論理に基づく競争社会である。その中で、蓮舫の体現する価値観が本当に人々への見本にふさわしいか否かも重要である。残念ながら、二重国籍の問題における本人の対応はその場しのぎと言わざるを得ない。二重国籍の合法性を示すために関係のない中国の国籍法を持ち出した程だから。

 

次に維新について。この党の原動力は現状変更への力である。これは、民主党政権を誕生させたマイルドな構造改革支持者の塊によって成り立つエネルギーだ。そこにはメディアの力もあり、マイルドな新自由主義の気分でもあると考えられる。

 

維新は「グレートリセット」という言葉をよく使っていた。この言葉には現実の閉塞感を一気に突破するという意味が込められていたが、これは少しずつ積み重ねようとする従来の日本の改革姿勢とは一線を画す。この画期的な姿勢が、維新が今でも一定の影響力を保っている一因と推測できる。

 

維新の掲げていた大阪都構想は、従来のような中央と地方との分配ではなく、大阪自身が富を生み出すことを目的としていた。これは地方が分権的に競争するようになるきっかけにもなる故に。日本は今後人口が減って、自治体も減っていく。分権的に地方間の競争が起きることは日本社会にとっては悪い話ではない。

 

橋本徹を始めとしたリーダー達の行動力や維新自体の組織力も大したものだった。同党は市・府議会で勢力を拡大して、中央政界において他党と対等に渡り合って、自分らに有利な展開を広げた。都構想においても、維新は議会で多数派工作を成功させて、住民投票の時はタウンミーティングやメディアを通じて住民を熱心に説得した。このダイナミックさは従来の日本の地方自治にはなかった。

 

ここまで、希望の党や維新について解説してきたが、ここで理解するべきことは安倍自民党後に必要なことだ。

 

次期与党がやるべきことは、政治や経済を刷新して、我が国の知的停滞を止めることだ。まず、官僚機構については、意思決定の過程の透明性を確保することが重要である。そうすることで、官僚を取り巻く利権の正体を明らかにすることができる。そのためにも、三権分立の安定化が望ましい。

 

経済政策については全体的な運営姿勢を明確にすることは勿論、既得権益清算による、次世代産業の育成が必要である。そのためには意識のアップデートも必須になる。教育の刷新も欠かせない。

 

外交・安全保障については、とにかく自主防衛を達成することが第一だ。改憲は勿論、文民統制を確かなものにすることで、自衛隊の法的な統制を完璧なものにする必要がある。

 

そんな中で、野党共闘は逆効果である。野党に必要なものは改革無党派を取り込む程の改革への鋭さであり、意思決定の迅速さだ。野党共闘といった大きな塊では、組織やリーダー性のすれ違いなどで鋭さが鈍る危険がある。政策理念は後からでいいという発想は通じない。国民はかつて民主党が内部分裂で改革に失敗したことを覚えている。多くの国民は野党共闘に対して同様の懸念を抱いているのである。

 

所詮、共闘など負け犬同士の寄せ集めに過ぎない。小物がいくら揃ったところで、政党としての実力がないのでは国民にそっぽ向かれる。野党共闘という考え方こそが野党勢力の停滞なのである。1つの野党が国家のグランドデザインをまとめることが望ましい。

 

最後に一言。

野党共闘を越えよ。自民党や官僚を越えよ。研ぎ澄まされた政策理念、堂々と本質的な問題に挑む勇気こそが野党の勝機なのだ!!

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※参考