愛花風

思考の先に本質を見る

立憲主義燃ゆる

貴方は、憲法とは何かと聞かれればこうと答えることができるだろうか?何となく覚えているという人が多いのではないか。

 

簡単に表せば、権力者に対する国民の命令書なのだ。つまり、権力をコントロールするために存在しているのだ。これを元にした政治思想を立憲主義という。では、今の安倍政権は憲法を守っているだろうか?

 

  • 公務員による忖度→第十五条違反
  • 森友学園の八億円値引き→第十八条違反
  • 共謀罪→第十三、十九、二十一、三十一条違反

 

これらは氷山の一角に過ぎない。普通ならばこのような政権はとっくの昔に退陣している筈だ。にも関わらず存続しているということは、この国に立憲主義が根付いていないことの証明である。

 

つまり、なぜこの国が憲法を理解できていないか議論する時期が既に来ているのだ。そうすることで安倍政権の退陣の道が見えるだろう。

 

GHQによる憲法の宿痾

我が国における憲法議論には大きな問題点がある。誰が作ったのかということで、真逆のことが同時に教えられていることだ。ある者はGHQと言い、ある者は戦後憲法を守ってきた国民と言う。憲法が国の根幹であるならば、さすがにこの狂った状況だけは終わらせる必要がある。

 

ここで重要なことは、誰が憲法の骨格を決める権力を持っていたかということだ。「つくった」という言葉には広い定義が含まれている。日本人の作った案が含まれているという意味や、戦争は絶対に嫌と思った国民が長年守ったというニュアンスもある。これが議論の混乱を招いているのだろう。

 

これについては、GHQが書いたと断言できる。GHQは1946年の2月4日から12日にかけて、たったの9日間で草案を書いた。それは翌年の2月13日に日本政府に手渡されて、改正が強要された。(部分的な変更は後にされたが)さらにGHQはこれが知られないようにするために、検閲によって国内の報道はおろか言及すらも禁じた。ついでに、草案の執筆は49年に刊行された「日本の政治的再編」で公表された。

 

第二次世界大戦後の世界において、憲法は小国が大国に立ち向かうための最大の武器である。フィリピンがよい例だ。マルコス政権が倒れた翌年、同国は今後新たな条約を結ばない限り、国内に外国軍の駐留を認めないと憲法を作った。当然米国は激怒して圧力をかけたきたが、結局1992年に米軍は完全撤退したのである。

 

ところが日本には自力で憲法を作るノウハウが今も昔もないのだ。この問題は2012年の自民党改憲案に顕著に表れた。これの一因が先程の「誰が憲法をつくったか」の命題に対する認識の歪みである。

 

GHQによって憲法が書かれたという事実を見せても、「中身さえ良ければ誰が書こうが関係ない」と言い張る人がいる。しかしそれは完全に間違いである。

 

現行憲法が「日本人によって選びとられたもの」でないことが問題なのだ。実際にGHQ憲法を制定する前に衆議院議員(解散中)の八割を公職追放した。国会に旧体制派を残さないためだ。また、帝国議会の修正のほとんどである憲法改正小委員会は秘密会であった。つまり、自分たちで憲法を書いていない故に憲法判断ができないこと、憲法を書いた社会的勢力がいないゆえに政府の違憲行為に対抗できないことが我が国の法治主義の崩壊の原因なのである。

 

また、憲法の由来にも問題点がある。それは現行憲法が欽定憲法か民定憲法のどちらかということだ。前者の場合は昭和天皇によって改正されてできた憲法という学説である。しかし前者にはとんでもない矛盾がある。憲法前文にはこうある。

日本国民は(略)ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する

ここでは日本国民が主体的に憲法を確定したことになっている。(民定憲法論)これでは昭和天皇改憲を発議・裁可したという歴史的事実と矛盾する。本当はGHQによって書かれたため、双方とも辻褄が合わない。にも関わらず、この2つの学説を巡って東大法学部と京大法学部が長年対立したのだ。

 

ここで、憲法の混乱を避けるためにまっとうな議論をしていた人物を紹介しよう。それは美濃部達吉である。彼は枢密院において新憲法の草案を審議するときに、以下のことを言って草案に反対した。

「手続きによると、草案を勅命によって議会に提出し、(略)天皇のご裁可によって改正が成立することになる。それにもかかわらず、前文では、国民みずからが憲法を制定するようになっていて、これはまったくの虚偽である」

「民定憲法は国民代表会議をつくってそれに起案させ、最後の確定として国民投票にかけるのが適当と思う。現在のやり方は虚偽であり、このような虚偽を憲法の冒頭としてかかげることは国家として恥ずべきことではないか。」

 

近代憲法が国家権力を制限するものである以上は、占領軍は論外として、政府が草案を作ってもならない。「誰が書こうが関係ない」など憲法論としては許されないのだ。しかし美濃部の論はGHQを中心とした体制によって葬られた。それで体制に迎合するものならば何でも受け入れられた。

 

体制迎合の代表的な例が宮澤俊義だった。彼は憲法研究委員会を立ち上げて、GHQの草案の法学的な位置を協議した。その時に「降伏という出来事は、法学的には革命的性格を有する」とした八月革命説を編み出した。これは、日本がポツダム宣言を受諾した日に法学上の革命が起きて主権がそのまま天皇から国民に移ったというのだ。無茶苦茶である。

 

元々宮澤は「大日本帝国憲法は民主主義を否定していない。ポツダム宣言を受諾しても、基本的に齟齬はしない。部分的に改めるだけで十分である。」と主張していた。軍部の暴走前の民主主義的傾向を復活させればよいという内容だ。この考え方の元に日本政府の憲法草案が作られた。ところが戦後の宮澤の著作にはこれとは逆のことが書かれている。

 

考え方の変化の過程が不明確であることがこれの問題なのだ。ウラの結論を正当化するためならば、学説が真逆になってしまうのである。インテグリティが失われていることも憲法論議の混乱の一因なのである。

 

さらに、統治行為論についても書こう。これは、政治的に極めて重要な、国家統治に関わる問題については司法の判断を保留するという理屈だ。だが少し考えれば、三権分立の否定になる。司法が行政を抑えることができないのだから。ところが現在の日本の法学では問題提起すら許されていないのだ。

 

現行憲法GHQによって押し付けられた、血の通わぬものであること、インテグリティの喪失といったことを隠してきたことで我が国の法体制は脆弱となってしまった。東大や京大の認識すら混乱しているのだから、立憲主義など根付きようがない。

 

そのせいか憲法裁判所がない。本来はこれで違憲と判断できる法案の成立を事前に止めることができる。仮に国会における成立要件を満たしていたとしてもだ。裁判所が存在しさえすれば、共謀罪などの安倍政権の違憲法案の成立を阻止することだってできた筈だ。まあ憲法が日本人によって書かれていない以上は判断ができないのは当然だが。

 

安倍政権の他にも、供託金の問題もある。これは受け取り自体が憲法44条違反なのだが、それが公然と罷り通っているではないか。これも、憲法裁判所がないことで受け取る議員を処罰できないことが原因なのだ。

 

さらに、GHQによる押し付け憲法には国際法上の問題点もある。1907年に改定されたハーグ陸戦条約第43条にはこうある。

占領者は、絶対的な支障がないかぎり、占領地の現行法律を尊重する。

 

ドイツを例に取ろう。かの国は米英仏ソによる4カ国による分割統治という苛酷な状況に置かれていた。実際に占領軍の長官ら(西ドイツだけで米英仏の三人の軍政長官がいた)から文書が渡されて改憲を迫られた。しかし、ドイツは正式な憲法を一切作らなかった。1949年5月の独立時に各州の代表から成る議会代表会議によって、基本法という形で暫定憲法を定めた。第146条を見てほしい。

この憲法は、ドイツ国民が自由な決定により議決した憲法が施行される日に、その効力を失う。

ドイツは東西の統一時に改めて憲法を制定するとしたわけだ。また、敗戦国ではないが、フランスの第四共和国憲法は、領土が外国軍に占領されている時の改憲を禁じているのだ。

 

これから分かることは、もし国土の一部でも外国軍によって占領されている場合は、絶対に憲法に手を触れてはならないことだ。これが憲法の世界標準なのだ。その常識があれば、現行憲法が制定されようとしたときに、沖縄県が議会に代表を送れない時に憲法をつくってはならないという声が出ただろう。

 

護憲派憲法の内容がいいと言うが、権力側から与えられているようでは意味がない。

 

ここで何故GHQ憲法を日本に押し付けたかを説明しよう。現行憲法が日本人自身で書かれたことにされていることが何よりの問題である。

 

GHQの最高司令官のマッカーサーは自らのイニシアティブの元に憲法改正を行おうとした。一番の原因は昭和天皇だ。陛下の命令によって数百万の日本軍が抵抗を止めて、占領軍に従ったからだ。マッカーサー昭和天皇が日本占領に欠かせないと確信したのだ。そこで、天皇東京裁判で裁かれないように、「天皇も日本も将来軍事的脅威になることはない」という形で憲法を作ることになった。しかし、米ソの意見の対立故に、極東委員会という日本占領に関する最高機関が成立した。同会が改憲における優先的な決定権を握ったのだ。

 

ここで紹介したい人物がいる。それはチャールズ・L・ケーディスだ。彼はGHQにおける憲法草案執筆プロジェクトの現場責任者であったが、1946年2月1日にマッカーサーに「憲法の改革について」というレポートをコートニ・ホイットニー将軍の了承で提出した。内容を3点にまとめる。

  • マッカーサー元帥には、改憲の政策を決定する権限を持つ。ただし、極東委員会が発行するまで。
  • 極東委員会発足後は、マッカーサーの命令でも、英国、ソ連、中国のうち一国が反対すると無効になる。
  • ただし、命令」には日本政府から改憲案が提出されて元帥が承認する行為は含まれない。

 

そこでマッカーサーはケーディスの勧めの元に草案をつくることにした。ケーディスのレポートが提出された同日、毎日新聞が日本政府の改憲草案をスクープしたとされている。しかし、掲載された草案は宮澤俊義のものであった。しかも彼の弟が毎日の記者であったことを考えると、スクープはやらせであった可能性が高い。しかもその日は来日中の極東諮問委員会の調査団が横浜から米国へと出発した日でもある。国際的にも密室だった。

 

GHQのメンバーの行動は、戦後の日本社会にて決定的な影響を与えることになった。先に書いたように、「誰がつくったか」ということで日本人は未だに混乱の中にいるのだから。つまり、憲法という国家の根幹に大きな闇が生まれてしまったのだ。もしGHQ草案の長所を活かしながら、独立時にもう一度自分たちでつくっておけば、少なくとも今のような混乱はなかった筈だ。

 

また、憲法にはGHQ昭和天皇との二重構造だけでなく、心理学的な問題もある。(二重構造についての詳しい解説は今回は省略させてもらうが)

  1. 占領軍は密室で書いて、受け入れを強要
  2. 内容自体は悪くない

 

本来はこの2つは論理的には矛盾している。それゆえに受け入れようとすると「認知不協和」を起こしてしまう。1が事実ならばとんでもないことであり、逆に2が事実ならば密室で書いて押し付ける意味がなくなる。

 

問題は、2を評価して1を否定する自称リベラルとその逆である自称保守といった勢力しか存在しないことである。後者の場合、血の通わぬ憲法を押し付けられたことで、憲法や人権などの中身にコンプレックスを抱いていると思われる。国民主権や人権をなくせといった声が自民党内から出てきた原因もそれだろう。

 

憲法と共にできた日米安全保障条約に基づいて自衛隊を利用したいという欲望が米軍には存在する。それを防ぐための戦術論として護憲が有効だったのかも知れない。だが、2015年に安倍政権が集団的自衛権を容認してしまった。このままでは自衛隊は完全に米軍の一部となるだろう。つまり、これ以上憲法や九条の問題の解決の先送りは許されない。

 

九条の光に潜む影

憲法第九条は平和主義を示すという。ここでは如何にそれがつくられたかを書こう。

 

九条は前述したケーディスによって書かれた。彼はこの条文について2つのことを語った。

「日本を永久に武装解除されたままにおくことです。ただ自国保存の権利は留保しておく。言いかえれば、日本は防衛用の兵器類以外は、決してなにももたないということです。」

「九条の執筆については私がひとりでやるということを宣言しました。(略)理由のひとつは、パリ不戦条約のなかにうたわれていること(第一条)を思い出してそれを生かせるだろうと考えたからです。

おそらくケーディスは、新しい時代の模範となりうる憲法をつくりたいという夢を持っていたのだろう。パリ不戦条約第一条が現行憲法第九条の第一項につながる。ただ、最低限の武装すら後に認められなくなっていった。

 

ここでもっと重大なことがある。それは大西洋憲章の存在である。その中の「平和を愛する諸国民」(第八項)や「すべての国の民族が恐怖と欠乏から解放されてその生命をまっとうできるような平和の確立」(第六項)は現行憲法の前文に使われている。さらに、八項にある「世界のすべての国民が、武力の使用を放棄するようにならなければならない」という基本理念が九条を成立させている。

 

この憲章は米英二カ国によって発表された。その後両国は同盟にソ連と中国(中華民国)を加えて、発表から僅か4ヶ月で26の国の巨大な国家連合を成立させたのだ。このときにルーズベルトの提案で連合国という言葉が使われるようになった。これが後に国連となる。尤も、米英ソ中4ヶ国が一堂に集うことは殆ど無かったが。

 

だがもっと重要なものはダンバートンオークス提案という国連憲章の原案だ。ただし、原案と現行憲章とは大きな違いがある。それは、「一般の加盟国に、独自に戦争をする権利を認めていなかった」ことである。具体的には国連憲章にある個別的・集団的自衛権の概念が原案にはなかったことである。

 

勿論自国が攻撃を受けたときに反撃する自衛権は認められる。だが、一般加盟国は「安全保障理事会の許可」「地域の安全保障機構のメンバーとして」といった場合でしか軍事力を行使できない。一方で安保理常任理事国は国連軍として各国から軍勢を集めて指揮できる。戦争の権利を独占する。このような「世界政府」の発想が九条第二項を生んだのだ。尤も、原案は「例外規定」の導入によって改変されて、一国の戦争が違法という理念は形骸化したが。

 

国連軍構想が生きていた同時期の2月1日、安保理常任理事国の参謀長が国連軍について具体的な議論ということで召集された。その2日後に示されたマッカーサー三原則の「戦争と戦力の放棄」にはこうある。

日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理念にゆだねる。日本が陸海空軍をもつことは、今後も許可されることはなく、交戦権が日本軍にあたえられることもない。

つまり、自衛のための武力すら認められないのだ。しかも米国の国務省は、GHQ憲法執筆については一切知らなかった。つまり、マッカーサーの連中の暴走である。

 

その後冷戦が始まったことで国連軍創設の会議は何の成果も上げなかった。そして、最終的に憲章に加わった集団的自衛権が個別国家の戦争=違法という理念を形骸化させた。その結果、九条第二項は現実における基盤を失ったのである。そして、米軍の永久的日本駐留と米国の「基地帝国化」を招いた。これは日米安保条約に関わる問題である。

 

日米安保条約のことを語るのに必ず欠かせないものがある。それは敵国条項である。第二次世界大戦における敗戦国の日本とドイツが主な対象だ。国連の本質的な対立軸は、戦勝国の連合国側と日本、ドイツといった敗戦国だからだ。

 

敗戦国の法的位置について説明する。本来国連憲章国際法の最上位にある。軍事力の行使は前述通り、国連軍という形や安保理の許可で可能だ。ところが日本やドイツの場合、許可の有無に関わらず、侵略の再現と判断すれば攻撃できるようになっている。(第53条1項後半)日本とドイツの永久的非武装化が目的であり、実際に設立当初のNATOはドイツの封じ込めを目的としていた。これが地域的安全保障協定の正体である。

 

次の第107条も重要だ。この条文は、国連憲章の全条文は戦勝国の敗戦国に対する戦後処理の問題には適用されないことが書かれているのだ。

 

実際にポツダム宣言には、占領目的が達成されて平和的な政府が成立したら占領軍は撤退することが決まっていたのだ。大西洋憲章にて「領土不拡大の原則」がある以上は当然。ところが、サンフランシスコ平和条約には占領軍の撤退を義務付ける条文(第6条)にはこんな記述がある。

ただし、この規定は、一または二の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された、もしくは締結される二国間、もしくは多国間の協定にもとづく、またはその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐屯または駐留を妨げるものではない。

つまり、日米安保条約による米軍の駐留は別なのだ。

 

さらに、サンフランシスコ平和条約第3条の前半では、米国が国連に対して沖縄等を信託統治制度のもとにおく提案をした時は日本は無条件で同意することになっている。信託統治の場合は将来の独立や自治が前提だ。しかし後半では、その提案が出るまで米国は政治的権力を行使できることになっている。

 

つまり、米国はそんな提案を一度もしてこなかったのだ。沖縄への半永久的駐留といった「領土不拡大の原則」や「人権の尊重」といった国際法違反が罷り通る原因がそれだ。しかも107条にあるように、敗戦国には憲章の内容が適用されない以上は他の連合国諸国は米国の横暴に反対できない。

 

107条を前提に敵国条項を振り返ると、安保理の許可なしに攻撃できる地域的安全保障協定こそが日米同盟の正体であることも考えられる。

 

日本占領の末期の頃の米国は日米の安全保障条約を豪州やフィリピン等を加えた集団安全保障条約として構想していた。その名を太平洋集団安全保障条約という。(他の加盟国からの反対によって実現しなかったが)その中でも当時のトルーマン大統領の以下の発言は重要である。

 

「この取り決めは、外部からの攻撃に対抗するため加盟国が共同行動をとることを保障すると同時に、日本が再び侵略的になった場合は、日本からの攻撃に対抗するため加盟国と共同行動を保障するという二重の目的をもつことになるだろう。

九条第二項によって無防備化した日本を防衛すると同時に、(もしも)軍国主義化した日本をすぐに武力攻撃できる仕組みなのだ。実際に周辺諸国は米軍の沖縄駐留を希望した。日米安保の目的とは日本国を守るのではなく、日本の地域の周辺諸国を日本国から守るためにできたものである。在日米軍は実質的な占領軍である。まさに「ビンのふた論」。

 

日米関係というものは、これまで「同盟&属国」と言われてきたが、正確には「同盟&潜在的敵国」なのだ。地域的安全保障が同盟の本質である以上日本に実質的な国境はない。ベトナム戦争イラク戦争に日本が加担した根本的な理由もそれだ。

 

幻想の戦後民主主義

現行憲法に潜む本質的問題を解決するためには、まずは戦後に民主主義ができたという思い込みや「戦後の平和憲法といった幻想を捨てることから始める必要がある。

 

話題となっている憲法九条についてだが、第一項と二項を一括りに守ろうとすると、米軍の撤退が不可能になってしまう。第一項については上記の説明通り、国際社会の基礎であり他国にも存在する。問題は第二項だ。冷戦の開始により、前提となりうる国連軍の編成が不可能になった。その結果、「全戦力を放棄した第二項」と「米軍の駐留(特に沖縄)」という矛盾が発生した。それが砂川判決で爆発したことでこの国の法治主義が崩壊した。同時に統治行為論も誕生して、政治に対する法の規制が効かなくなっている。

 

米軍の駐留については、沖縄メッセージという事情がある。ここでは昭和天皇を初めとした首脳陣らがGHQとの対立で日本側が勝利した。米国が日本を冷戦における反共の防波堤にすることを決めたからだ。これで沖縄と本州に米軍駐留が置かれることになった。これを逆コースの始まりという。(沖縄メッセージの詳細は今回は省略させてもらう)

 

そのせいで、自衛隊は有事の際には在日米軍の指揮下に入ることが統一指揮権密約で決まっている。良い方向に憲法を変えようとする勢力が育たない理由や、15年に集団的自衛権の行使容認が決まった背景にはそれがある。二項では交戦権の放棄が謳われるが、実際は交戦を拒否する権利がないのだ。これが日米地位協定の実態だ。地位協定には相互性が必要だ。九条に自衛隊を統制する機能がない以上は協定の改善は不可能だ。

 

ここまで読んでもらえば分かる通り、戦後の日本は法体系が根本的に崩れており、初めから民主制国家として設定されていない。国民の人権が万全に守られていないことは明らかだろう。憲法そのものが民から作られていない以上は戦前の明治憲法と同じ押し付けだ。安倍政権による違憲行為の数々はそれの表舞台に過ぎない。

 

我々は今、憲法そのものを見直す時期に入っているのだ。具体的には米国に寄ったものではなく、国連中心の形に直さねばならない。そこで勧めたい改憲案として、立憲主義改憲がある。

http://www.6001260a5bf85a2006a7b058408ae580.com/ (1) (1).pdf

 

この憲法案では、自衛隊を国軍に昇格させた上で統制規範や文民統制を記す。つまり有事においても軍を法でコントロールできるようにするのだ。その上で在日米軍の存在を禁止して、過去の密約を無効化する。フィリピンに習う形だ。これによって所謂安保村といった利権の精算や日米関係の健全化が可能だ。

 

この憲法案が成立することで日米地位協定の解決ができて、新生日本軍は米軍の戦争に付き合う必要はなくなる。勿論集団的自衛権の廃止も可能だ。そして、国家主権が米国に取られている状況は無くなるだろう。

 

また、敵国条項の廃止の見込みも立つ。連合国特に常任理事国らは、日本がかつての帝国時代から決別できているかに注目していると思われる。そんな時に自衛権が米軍につくようでは条項の廃止は不可能だ。自衛隊をしっかり統制して暴走を防ぐことが周辺国、特に中露の信頼を得ることになる。戦前は軍の暴走が元凶なのだから。

 

さらに、憲法裁判所も作られる。これが事前に法案を裁くことで、政府は違憲行為をすることが出来なくなる。これまで安倍政権が作った数々の違憲法案は勿論、供託金の廃止だってできる。(個人的には世襲の禁止も憲法に盛り込みたいが)これによって、国民の人権を守る体制が磐石になる。三権分立が安定化するわけだ。

 

特に三権分立の確立は必要だ。司法や国会が行政を上手く抑制できるようにする必要がある。(国会については他にも問題はあるが)何故ならば行政が他の機関より強い状態では、過去の利権関係の精算が困難になり、外的要因によるクラッシュがない限り同じ方針を取ることになるからだ。大東亜戦争の敗戦や辺野古の基地移設、原発の続行がいい例だ。日本が外圧でしか変われないと言われる元凶が行政だ。

 

改憲論議については、安倍政権下でも問題はない。そもそも自民党自体がある意味米国の手先のような政党だ。安倍はそれの最たる例である。前述した通り、憲法改正には必ず米軍や敵国条項の問題が絡む。自民党にとって彼らの悲願の改憲は不可能なのである。つまり、自民党は本質的には護憲派政党なのだ。

 

それに、2019年の七月の参議院選挙で自民党改憲発議に必要な全議席数2/3の数を得ていない。よって、安倍政権は数による強行採決はできない。しかも以前に行われた自民党総裁選では石破派の健闘が起きて、安倍政権のレームダック化は明らかだ。まあ、安倍としては改憲さえ叶えば程よいところで解散しようとしているが。以前よりも弱体化した安倍政権に怯むようでは野党は政権を取れないだろう。

 

今こそ憲法を改めて米国への追従を転換して行政を立て直す時が来ている。戦後レジームを断ち切る好機は今なのだ。それゆえに野党は改憲発議を積極的に行って安倍政権を終わらせねばならない。議論を止めている暇はない!

 

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか (講談社+α文庫)
 

立憲主義改憲
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(2020年1月25日改訂)